
この言葉は多くの場合誤解されていて、「情けは人のためにならない」と思っている人もいるようですが、本当の意味は「情けを他人にかけることで、いずれはそれが巡り巡って自分のところに戻ってくる」という意味です。こんな時代に、他人に優しくすることはあまり利益のないことだと思いがちですが、実際にはそういう自分にいつかは他人が情けをかけてくれるときが来るというのは本当の話でしょう。
これは少し宗教がかった考え方かも知れませんね。でも、日本人の私たちには抵抗なく受け入れられる言葉ではないでしょうか。この言葉の反対も真実だと思います。つまり他人に悪い行為をすれば、いつかはそれが自分に返ってくるということ。やはりこれは仏教の輪廻転生の考え方が元になっているのでしょうね。
世知辛い世の中になり、やたらと他人との接触を避けるのが一般的にもなりつつあります。正義を唱えれば自分だけが損をして周囲の人間は援助の手をさしのべてはくれなかったり、他人を信用したために騙されて痛い目にあったり、人間として正しく生きることがとても危険な時代になったと思えなくもありません。でも、そんな風潮の中にあっても自分は自分の信じる道を歩むことがやはり一番なのではないでしょうか。正義感の強い人は、それを他人に押しつけないような形で自分自身のできる範囲内で実践していればいいのだと思うのです。私は学校の教員に裏切られる形で職場を去りましたが、そんなことをいつまでも気にしているとろくな人生は歩めませんから、今でも人は信用することにしています。表面的には「もう人は簡単には信用しない」とかうそぶいていても、やはりどこかでお世話になった人には必ず二倍の大きさで恩返しをしたいと考える自分がいます。それは、私の両親の教育だったのでしょう。身に付いた習性は、いくら頑張っても捨てられるものではありません。でも、いくら騙されても、私はそういう自分に正直な人生でいいと思っています。
私は最後の赴任校の印刷室では、両面印刷用に印刷ミスをした用紙を大きさ別に整理しておく箱が用意されていましたが、中はバラバラでたまに両面とも印刷された用紙が混じっていることもありました。私は暇を見つけて全ての用紙を大きさ別に整理しなおして、そしてそこに貼り紙をしたのです。「情けは人のためならず。巡り巡って我が元へ」と。それは多の職員には痛烈な皮肉に映ったようでした。私はそんな余計なことをするから他の職員から恨みを買いやすかったのでしょう。でも、生徒達には正義の味方のような発言を繰り返していて、自分たちがそれに反するような行為を日常茶飯事で行っていたのではシャレになりませんよね。でも、そんな私の「余計なお世話」をしっかり見守ってくれている人たちも少なからずおりました。当時の教頭先生と事務室の職員です。私は彼らに支えられて教員生活を送っていたと言えるかも知れません。
多の職員と歩調を合わせることに嫌気がさして学校を辞めた私ですが、民間に出てからも年齢的な問題を無視してECC外語学院がバイリンガル講師として採用してくれましたし、また国際外語センターの校長先生も私の風変わりな経歴に興味を持って私を採用してくださいました。社会人の生徒さん達のほとんどが私の頑張りを応援してくれ、私は社会に出てから多くの応援団を得ることになりました。やはり自分の信じる道を歩いてきて良かったのかなと、今では思っています。
私が教員になってから6年ほどしたときでしょうか、たまたま神奈川県の教育センター(藤沢市善行)で恩師の角田明先生とお会いしたときに、たまたま私が学校体制の不満を口にしたら、角田先生から表題の言葉をいただいてしまいました。角田先生ご自身、「自分は同じ学校には6年しかいないように心がけたい。それ以上いると、学校は自分の思うように動くようになって、まるで自分が有能な教師になったような錯覚を抱いて慢心につながるからね」とおっしゃって、常にご自身に厳しい目を向けておられました。
我が家のトイレには格言入りのカレンダーがかかっているのですが、11月のページにも似たような内容のことが書かれています。他人の苦言は受け入れがたいが、他人の苦言の中にこそ自分を成長させてくれる糧が隠れており、甘言は耳に心地よいかも知れないけれど、それは確実に慢心を生むもとだという内容です。
確かに人間は自分の言動は常に正しいと思って行動していますが、ときには「本当にこれでいいのだろうか」と謙虚に自分自身を振り返ることが必要ですね。自分だけが正しくて他人が常に間違っているということは絶対にあり得ないからです。
また、自分自身のことはあまりよく見えなくても、他人のことは客観的によく見えるもので、人間はよく他人の批判をしたがります。私もその例に漏れませんが、もしかしたら気がつかないうちに自分も似たようなことをしているかも知れないのです。自分自身のことは見えにくいものですから、意図的により厳しい目で自分を見つめる必要があるでしょう。
私は中学校の英語教師、英会話学校の講師と、常に「教える立場」を仕事にしてきました。でも、生徒と呼ばれる立場の人たちに助言していることを、自分自身が確実に実行できているかということになると、正直言って100%そうだとは言えません。ついつい批判的な言動をとりがちな私ですから、自分のことは厳しい目で見つめていかなければならないと思います。
私が英会話講師を務める、「国際外語センター藤沢本校」での話です。私にとっての記念すべき最初の授業は「3ヶ月短期集中英会話コース」の授業でした。私の任務は英会話の基本になる340個近い基本文の文法をきちんと解説して、その上でその基本文をしっかりと暗記させることです。生徒さん達はもちろん社会人の方達。みんなやる気十分で、本当にいい気持ちで授業をさせていただきました。英語の教師としてこんなに喜びを感じたのは、本当に何十年ぶりでしょうか。
2時間25分も長い授業があっという間に終わった後、"Well, that's all for today's lesson. See you next time."と終わりの挨拶をしましたら、生徒さんの中の50歳半ばから後半くらいの男性のTさんが満面に笑みをたたえて、"Thank you for the lesson."(授業をありがとうございました)と言って下さったのです。本来ならば、生徒さん達は"See you."で十分なのに、そんな丁寧な心のこもった挨拶をされたのは初めてでした。25年以上の長い英語教師生活の中で、始めて耳にした最高の賛辞です。私の授業を楽しく受けて下さったからこそ、本心からその言葉を言って下さったのでしょう。私はTさんのこの言葉で、英語の教師をしていて本当に良かったなあとつくづく感じさせられました。そして同時に、素晴らしい方達と出会えた幸運と、年齢制限の枠を無視してわざわざ私を採用して下さった国際外語センターー校長の畠中先生に、心から感謝したい気持ちになったのでした。言葉は本当に素晴らしい力を持っていますね。
それは私が教師になってからまだ5年目のことでした。1つめの中学校で職場結婚をした私は、5年目に市内でも最も荒れているという噂だった茅ヶ崎市立鶴が台中学校に転勤になったのです。しかもいきなり3年生の担任です。私は最初の学活でのやりとりを今でもはっきり覚えています。「ねえ、君たちどうしてそんなカラフルな靴下はいてるんだい?」「うるせえなあ!おめえは新しく来た先公なんだから、この学校のしきたりに従えよ!」それまで勤めていた茅ヶ崎市立西浜中学校ではついぞ耳にしたことのない台詞でした。ここはまさにテレビドラマを遙かに超越した世界だったのです。
生徒達は教師の言うことなどに全く耳を傾けようとはしません。私は3ヶ月もすると通勤拒否状態に陥ってしまいました。まだまだ未熟だった私は、先生らしい対応ができない自分が許せなかったのでしょう。そういう自分が情けなくて、すっかり自信をなくしていたのです。あの当時はよく考えたものでした。こういう乱暴な連中を相手にするには、プロレスラーのような巨体が必要だと。しかし、私の考えは全く違っていたのです。人の心は腕力で自由にコントロールできるようなものではないからです。
授業が終えて職員室に戻ってくるときに、いつも女子トイレの前を通ったのですが、そのたびに中でたばこをすっているツッパリグループを見かけました。真面目な私は、その都度女子トイレの中にずかずかと入っていって、注意をしたのですが、「たばこなんか吸ってねえよ」の一点張りでちっとも言うことを聞いてはくれません。まったくみじめな瞬間でした。それでも、生真面目な私は女子トイレの前を通る度に、無駄な注意をしに中に入っていったのでした。
ところが、その学年が卒業する日がやってきて、いつも女子トイレでたばこを吸う仲間に加わっていた私のクラスのT子が、私に手紙を書いてきてくれたのです。「先生、いつもトイレに注意しに来てくれてありがとう。私たちね、いつも先生が注意しに来てくれるのを楽しみにしていたんだよ。注意してもらって嬉しかった。最後まで悪い子でごめんなさい」私は本当に心の底から泣けました。表面上は指導などちっとも通っていなかったように思えたのに、彼女たちは私の行動を評価してくれていたのです。
私はその荒れた3年生を卒業させた瞬間に決めたのです。「この学校に10年間勤めよう」と。そしてその決心の通り、私は鶴が台中学校に10年間勤めました。10年後に今度は私がさよならを言う番になって、私は体育館の壇上で校歌を歌おうとしたのですが、次から次へと涙がこぼれ落ちてきて挨拶にもなりませんでした。私にとっては本当に去りがたい中学校だったのです。
よく中学校の英語の教科書にこの英語版のことわざが出ておりました。格言の意味は誰にでもわかる簡単なものですが、その本当の意味を身を持って知ることはなかなか難しいことです。
私が茅ヶ崎市立萩園中学校でいじめの問題に真正面から取り組み、いじめの加害者だった少年2名に体罰を加えたとして、理由の如何を問わずに県教委から厳しい処分を受けたときも、普段は本当に仲の良かった同僚達が本当に赤の他人に見えました。確かに私は自分の信条から日教組を脱退してしまっていましたが、教師として正しい行動をとった同僚を見殺しにすることと、組合の問題とは別だと思うのです。でも、私はみんなに相談なく行動に移したのですから、後から「なぜ助けてくれないのだ」と泣き言を言うわけにはいきません。そのとき心の底から痛感したのです。みんな自分の身が大切なのだなあと。そして、それだけの人望しかなかった我が身を情けなく思いました。そういうときに同僚達の協力を得られないというのは普段の私の言動にも問題があったのでしょう。でも、私が逆の立場だったとしたら、私はどんなに敵対している同僚であっても、正しいことをして謝った処分を受けたことを知ったら、たった一人でも校長室に怒鳴り込んでいたでしょう。
9月4日の夜の特集で星野仙一監督のお母さんの話を特集していました。お母さんは子供時代の星野監督に言ったそうです。「人間はいいときには寄ってきてくれるけれど、本当に困ったときには逃げてしまう。そういうときに近くにいてくれる人こそが本当の親友なのだよ」と。星野監督が生まれる3ヶ月前にご主人が他界して、女手一つで三人の子供を育てたたくましい肝っ玉母さんならではの真実の言葉だったのだと思います。そういうお母さんに育てられたから、男っ気の強い星野仙一監督が存在するのでしょう。
自分の命を擲ってまで他人を助けるというのは至難の業でしょう。映画「タイタニック」のように、恋人を助けるために自分が冷たい海の底に沈んで行くのは、誰にでもできることでは決してありません。でも、自分の立場が多少悪くなる程度のことを恐れて仲間を見捨てるというのはあまりにも意気地がなさ過ぎるのではないでしょうか。おっ、いけない、いけない。最初から他の先生の助けをあてにしなかった自分なのですから、市教委と県教委に裏切られたくらいで泣きを入れるのはみっともないですね。反省、反省。
人間には想像力というものがありますから、相手の気持ちを想像して「きっとこうだろうなあ」と思うことはできますね。でも、本当の気持ちはその立場を経験した人間にしかわかりません。「気持ちはわかるけど…」という台詞で始めて誰かに話をすることがありますね。そういうときは「けど」という言葉を使っている時点で、自分は相手の気持ちを本当には理解していないのに、何か反論的なことを言おうとしているのです。本当に相手の気持ちがわかったら恐らくは何も言わないでしょう。
私はいやゆる「バツイチ」です。離婚をしたのは私が茅ヶ崎市立鶴が台中学校に勤めていた14年前のこと。私は今でもはっきりと覚えていることがいくつかあるのですが、そのうちの一つは離婚届を市役所に提出しに行こうとして事務室のYさん(私のことを息子のようにしてかわいがってくれた方)に引き留められたこと、そしてもう一つは前妻が荷物を引っ越したのがちょうど私の学校の文化祭の日で、夜の打ち上げ会が終わった後で家に帰ってみると、中はもぬけの殻で、テーブルの上に手紙が置いてあったことです。その手紙には、「私は今までこの家が私の家だとずっと思っていたけど、もう私には帰る家がなくなりました」と書いてあり、一晩中カーペットの上に大の字で寝転がりながら大泣きに泣いていたのを覚えています。私にとって、離婚は人生の大打撃でした。授業に行こうとして廊下を歩いていても気持ちは落ち込んだままで、教室に着くとドアの前で深呼吸をして笑顔を作ってから教室に入っていました。辛い日々は何ヶ月も続き、暗いトンネルには出口が全く見えない気がしました。私が離婚の痛手からすっかり立ち直って、もう一度人生を歩き始めようと考えられるようになるまで、1年以上はゆうにかかったと思います。
それからですね、崩壊家庭の子供達の気持ちが手に取るようにわかるようになったのは。親が離婚してしまったり、親と死別してしまった子供達の心の寂しさが手に取るようにわかり、そういう生徒を前にすると本当に胸が痛みました。健気に頑張っている子供の姿は本当に涙を誘いました。もちろん、学校の先生はみんな離婚を経験しろなどと極論をするつもりはありませんけれどね。
結局、人間は自分が経験した範囲のことしか実感としては理解できないのだろうと思います。ですから、困っている人や悩んでいる人を見たときに、簡単に「気持ちはわかるけど」という言葉を使ってはいけません。本当に相手の気持ちがわかったときは、胸が詰まってしまって言葉など出ないものだからです。ただそばにいて、一緒に悩んだり泣いたりしてあげれば十分でしょう。
これは私が担当している藤沢保険事務所ペアーレの入門英会話の授業を受けていらっしゃる生徒さんから、ある先生に教わった言葉ですということで聞いた台詞です。日本では、「無理しないで明日すれば」という言葉の方が一般的ですが、英語では他にも、"Never put off until tomorrow what you can do today."という格言もあるくらいですから、今日という日を大事にする考え方が一般的なのでしょうか。確かに日本にも「思い立ったが吉日」「明日があると思うな」のような言葉もありますが、最近ではあまり流行らないような気がします。
私個人としては、今できることは今のうちにやっておく方がいいと感じていますし、具合がよほど悪いとき以外は自分にプレッシャーをかけて必ずすぐやるように努力しています。「そのうちやろう」とか「今度時間を見つけてやろう」という風にして先延ばししたことは、私の場合はたいてい実行されずに終わっているからです。
学校の教員時代には私は毎日のように「学級日誌」を出していましたが、あれは毎日自分にプレッシャーをかけて出さないとなかなか続かないものなのです。ですから、ちょっと疲れたなと思っても、どんなにつまらない内容でもいいから必ず書くようにしていました。実際、「今日はいいかな」と思って1回抜くと、次もまた同じように簡単な理由で抜いてしまうことになるものです。
私はホームページを2つ開いていますが、もう一つの「イッシーの部屋へようこそ」の方には日本語版と英語版の日記を書いています。これも学級通信と同じで、必ず毎日更新しないとどこかで楽をしようという怠け心が出てきてしまうのです。ですから、そちらのホームページは必ず毎日更新しています。その代わりに、こちらのホームページはなかなか更新していませんけれどね。
ただ、頑張ることと無理をすることとは別なので、自分の具合が本当に良くないときは、仕事のことは忘れてしっかり睡眠時間を確保することが大切だと思います。そういう状況で仕事が伸びたときには、不思議と後で取り返しがつくものですから。でも、それ以外の時にはやはり自分には厳しいノルマを課した方がいいでしょう。人間は基本的に怠け者ですからね。
※ある映画の中でこの言葉の元になったと思われる格言を見かけました。「今日の1日は明日の2日分の価値がある」というその格言は次の通りです。
⇒ "One today is worth two tomorrows."
「風と共に去りぬ(Gone with the Wind)」の最後の台詞として有名ですね。焼け野原になってしったタラの大地を眺めながら主人公が明日に希望を持とうとして言う台詞です。日本語では「明日は明日の風が吹く」となっていますが、文字通りの意味は「今日が苦しくても明日は京都は違うまた別の日なのだからね」という意味です。
実際、何か問題を抱えているときは、もうこの世の終わりのような感じがするものですが、一晩ゆっくり眠って翌朝目覚めてみると、そんなに大きな問題ではないような気がしてくることもありますよね。もしかしたら何とかなるかも知れない。私はA型人間なので物事を必要以上に深刻に考えがちでしたが、今ではO型人間に変身してしまったかのように、「あがいても仕方ない。何とかなるだろう」と開き直って考えることができるようになりました。
人生は、どこで何が起きるかわかりませんし、いつどんな出会いが待っているかも知れません。予想ができないからこそ人生には常に希望が持てるわけで、暗いトンネルに入ったら出口がないのでは生きていても意味がなくなってしまいます。「朝の来ない夜はない」とか「出口のないトンネルはない」とか「雨の日があれば晴れの日もあるさ」などという言葉は、全て同じことを私たちに教えているのでしょうね。ストレスに弱い現代っ子達には、ぜひ覚えてもらいたい台詞です。